鹿児島神宮は大隅国一宮です。元旦や例祭、七五三などでは多くの人で賑わう大きな神社です。そして鹿児島県の名称の由来ともなっている神社なのです。神宮由緒によると創祀は神武天皇の頃とありますから、また随分と古い話であります。
ご祭神は天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)です。高千穂に降臨されて瓊瓊杵尊の子供で、神武天皇のおじいちゃんになられる神様です。
天津日高彦穂穂出見尊は山幸彦とも呼ばれています。海幸彦、山幸彦の物語の主人公ですね。この壮大な兄弟喧嘩の結末として、勝った山幸彦は天皇家の祖となり、負けた方の海幸彦は隼人族の祖となったとか。神話の世界ですので定かではないですが、中央と地方の豪族間の争いがあったのかも知れませんね。
その海幸彦は神宮前の二の鳥居の脇に祀られています。未だに弟の門番役をしているわけです。天津日高彦穂穂出見尊の御陵は溝辺町にある高屋山陵で、鹿児島神宮のほど近くにある高千穂宮(跡)で無くなった言われています。
鹿児島神宮は地元では「八幡さぁ」と呼ばれて親しまれていました。八幡さぁと言うからには八幡神との関わりが気になります。鹿児島神宮は大隅正八幡とも呼ばれており、八幡神が合祀されています。
鹿児島神宮の勅使殿には「正八幡」という額が掲げられています。鹿児島神宮は正八幡の本宮になります。八幡宮は大分県の宇佐神宮を総本社としていますが、古くは鹿児島神宮の勢力も大きく、どちらが正八幡と名乗るか争いになり宇佐神宮から鹿児島神宮に火をつけにきたとう話もあります。そのあたりの事は、また機会に。
鹿児島神宮は社殿は勅使殿、拝殿、本殿からなり、1756年(宝暦6年)に島津重年が作ったものです。勅使殿は天皇の使いである勅使を迎える場所です。拝殿には240枚のものぼる見事な天井絵があります。この天井絵には象やバナナの絵があるそうです。作られた当時、日本にはなじみのない動植物の絵が描かれているのには興味を覚えます。
鹿児島神宮の祭りでは初午際が有名ですね。旧暦正月18日の初午の日に行われる祭りです。今の暦では2月末から3月初めの日曜日になります。飾りつけた鈴かけ馬が笛太鼓に合わせて踊ります。例祭は旧歴8月15日で隼人舞が奉納されるそうです。
鹿児島神宮には摂社、末社が11もあり神宮の周りを神社が取り巻いているような感じです。また関連した史跡も多く、このブログでも紹介していきたいと思います。
鹿児島神宮 御朱印
鹿児島神宮 データ
所在 | 鹿児島県霧島市隼人町内2496 |
主祭神 | 天津日高彦穗穗出見尊、豊玉比賣命 |
社格 | 旧官幣大社 大隅国一宮 |
創建 | 神武天皇年間 現在の社殿は1756年(宝暦6年) |
例祭 | 旧8月15日 初午祭 (はつうまさい、旧暦2月の初午の日に近い日曜日) |
メモ | 大隅正八幡宮 |